鰹本格的来遊か?
ここ10年以上みられなかった北上鰹群の
房総半島沿岸域への来遊が本格化の兆しを
示しています
昨日の 銚子、勝浦港への入港船6隻は、20
~ 50tの漁獲で同じ魚体組成の鰹です
漁獲した一本釣り漁船4隻は、20tクラスの
小型船ですから満船状態での入港です
漁獲海域は勝浦の沿岸域からせいぜい60
マイル位とその沖合海域です
今年は、3月に鳥島近海より銚子沖の広い
海域で、いろいろな魚体組成の鰹が漁獲
され始め、1日1隻当たり数tから10t位の
漁獲が続いて来ましたが、同じ魚体組成(
小、小々、中)の鰹が満船まで漁獲された
のは今年初めてで、近年でもまれな傾向です
「目に青葉山ほととぎす初鰹」
江戸の食の粋の一つであった初鰹を食する
風習の原点は房州にありました
簡単な帆とろ漕ぎが動力の江戸時代、極沿岸
に来た鰹しか獲って刺身にする事が出来ま
せん時代に江戸への鰹の供給元は房州でした
1年に一度、数年に一度かも知れない極沿岸
部への鰹の来遊は「山見」(海に迫った山
の上から海上を望見する、その山は現代に
魚見山、魚峰山、遠見台等の地名で伝えられ
ている)により発見されました
鰹の群がセグロいわしを追い海面に追い詰め
られたいわしを鳥が襲う、この様は視力の
良い人なら3km隔てて見つけられます
それから船を出して釣った
時季になれば、天候の良い日は陽の揚がら
ない内に白子(北緯35度東経140度丁度)
を船出し、和田へ向け砂浜添いにしらす袋
(網目の細かい、小セグロやその稚魚~
を獲り沖へ出して鰹の群を探しました
群に遭えばしらすを撒いて鰹を集め釣り揚げ
ました、
この鰹を、押送船に積んで江戸日本橋魚河岸
まで運びました
この鰹1尾が1両に値したとも伝えられます
押送船(おしょくり船)
6丁又は8丁のろで漕ぐ船、肩(船幅)1丈
~1丈1尺(3~3、3m)しき(船の基礎
となる船底の土台)の長さ30尺~35尺(
9~11m位)細身に軽く造ってある
とも(船尾)の大ろは1丁を2人で漕ぐ
脇ろは1人1丁、都合10人でろを押した
舵取り、予備員を含め15人位の乗組
浮世絵の神奈川沖の波裏の船型の発想は
押送船にあると思っています
白子を昼過ぎまでに出て洲崎を陽のある内に
廻れば翌早朝に江戸日本橋魚河岸へ着いた
と言われる
積載量は最大15貫樽40樽位
里見水軍の末裔が運営に加わった事が想定
されます