直売所千倉

千葉県木更津市にある、日本一小さな魚屋です。半世紀プラス25歳の青年が一人で切り盛りしています。50年の知恵と25歳の純真さが魚を美味しくお届け致します。 住所は 木更津市長須賀327ー1.電話09044300376 当店でのお取り扱いは、日銀カードのみでございます。還元ポイントは有りませんが、基礎手数料ゼロの日銀カードが 、最もお得です。 当店では、お売りする魚についてお客様にご納得いかれるまでご説明申し上げています。漁獲海域、漁獲方法、水揚げに至る経過、水揚げから店頭までの経

てんでんしのぎ

「てんでんしのぎ」とはなんなんでしょうか

自らの生命に極限の危険が迫った時、他は

顧みず自らの命の温存に集中しなさい

して良いです、と言う事と私は理解して

います


利根川河口を、漁港として利用する銚子港口

は昔から海難事故の絶えない難所でした

上流から流れ下る多量な雨水に、太平洋から

河口に打ち込む波浪は、利根川河口域の水位

を押し上げ、限界に達すると一気に流れ下り

ます

そこに次の大波が打ち込むと河口には想像を

絶する三角波が立ち船は持ちこたえられなく

なります、この状況を港口が塞がると言います

時化の海を逃げ帰ったのに港口が塞がり

入港出来ない、無理に入港を強行して転覆

遭難に至る事が多くありました

銚子河口の小高い丘には、目の前の海で遭難

した漁船員の霊を慰める慰霊碑が立ち並ぶ

千人塚と言う場所が有ります

その銚子にも

「 銚子河口てんでんしのぎ」

と言う言葉が伝わります

銚子河口で危険が迫った時、他船は顧みず

自らの船自らの命のみ考えて行動して良い

しなさい、との格言です

今回は、この言葉を無視した男の話しです

千倉港の突きん棒船の船頭池田武夫は、漁を

切り上げ南東の波浪で時化始めた海を 銚子

向け帰途、河口にさしかかると案の定状況が

悪く進めない、

変更出来る港は4時間もかかる大原港だ

暗くなるし天候の悪化が心配だ

なんとか銚子に入ることがより得策だ

波待ち(大波には周期があります、上流から

の流出にも周期があります、これらを見定め

小康状況を待つ)を繰り返し 、乗組員は全員

甲板に出して準備して、小康状態になること

を見込んで最後の大波に追われるように全速

で河口を目指しました

幸い、酉舵表(左舷45度位)に千人塚を

見上げる所、安全圏に至り深く頭を下げて

慰霊と感謝の念を示した間もなく右舷前方に

上流から押し流され来る船を発見しました

機関故障で押し流されている、このままなら

あの三角波の餌食だ

船頭は当然のように救助を決断、酉舵

いっぱい、命からがら強行入港して来た

三角波の海に逆戻り、乗組員は船頭を見上

げています「なんでやっと入れたのに」

こんな思いを断ち切る如く船頭の指図が飛んだ

「野郎ども綱出せ、(緊急時のためだけに

船首倉庫に格納されている曳航索を準備し

ろ)」我に返った乗組員は1寸5分(45mm

)の太いロープを引き出し、尻っては表の

棒頭に留めともの棒頭に括って先には4分の

細い綱を結わえて準備が終わった時、船体が

折れる程の大波に突っ込んだが

ようやく流れる船の沖に回った船頭は全速の

まま再度酉舵いっぱい遭難船の脇をすり抜け

上流を目指した、すりちがいざまに

若い衆の放った細綱にしがみ付いた遭難船の

乗組員が細綱を手繰り曳航索を表の棒頭に括

り付けた時には船頭の船から繰り出された

太綱が張りきる寸前だったと言う

やり直しはきかない救助はあっけなく

終わった

河岸に船を着けた船頭は

「わっだらお世話さん、はやあ着げえろ」

(みんなご苦労様、濡れた服を着替えて

風邪引かないようにしてくれ)と言う

と放心状態で岸壁に上がったと言います

そこへ飛んで来た遭難船の船頭は足元で

地面に頭を擦り着けてただ泣くことしか

出来ずにいたと聞きました

池田武夫が我に返ったのは、船頭の元に

銚子一番の廻船問屋の旦那が歩み寄り

「船頭、良うやってくれた、おめえのような

気骨な船頭の問屋ではなが高い」と言う言葉

を聞いた時と言っていました

誰しも遭難者を助け得れば最上だとは思って

いるはずです

「おらあな、あんがうれしいといっても、

奈村ん親父に誉められたといはうれしった

なあ」と細い目を更に細めて聞かせたのは

私が小学校の頃です

池田武夫は大正2年生まれ、尋常科を卒業

すると漁船の見習い漁師になり19歳で

突きん棒船の船頭に抜擢され、40歳代半ば

まで漁師であり続けました

てんでんしのぎ

これは死ぬかもしれない困る人を見捨てて

良いと言うことではないでしょう

不幸にして助けることが出来ずに自らの命を

永らえた人への慰めだと私は思っています

東日本大震災から10年に当たり、自らの

意に反する人生を歩み続ける人が多いと思い

ます、が頑張って生きましょう

私は、亡くなられた方には深く哀悼の

気持ちを新たにしてこれからも生きて

いこうと思います