直売所千倉

千葉県木更津市にある、日本一小さな魚屋です。半世紀プラス25歳の青年が一人で切り盛りしています。50年の知恵と25歳の純真さが魚を美味しくお届け致します。 住所は 木更津市長須賀327ー1.電話09044300376 当店でのお取り扱いは、日銀カードのみでございます。還元ポイントは有りませんが、基礎手数料ゼロの日銀カードが 、最もお得です。 当店では、お売りする魚についてお客様にご納得いかれるまでご説明申し上げています。漁獲海域、漁獲方法、水揚げに至る経過、水揚げから店頭までの経

知床遊覧船全滅事故に思う

4月23日午後知床半島オホーツク海側で

発生した26人を乗せた遊覧船の行方不明

事故は、船体は120mの海底に発見された

ものの14人さんの遺体収容を最後に後

12人さんは遺体さえ見つかっていません

いたたまれない思いで報道を凝視してきま

した

どうして救助し得なかったのでしょうか

救助すべき手立てはありました

人は存在しました

私が知り想像する限り、2つのグループが

あります

一つは国の救難機関、海上保安庁です

今一つは、この事故を知った遊覧船同業者

であり、ウトロの漁業者です

海上保安庁第1管区海上保安本部の先発

ヘリコプターが現場に入ったのは事故発生を

認知して第1管区海上保安本部内に対策本部

を開設してから3時間半後の16時30分

過ぎです

至近の釧路海上保安部航空基地からの距離

は約160km、ヘリコプターで20~30分

の距離です、人命救助に最も大切な初動の

3時間を空費しました、致命傷です

次に、

ウトロの遊覧船同業者です

漁業者です

遊覧船同業者は保安庁より早くに事故発生

を認知していますが、人命救助活動を起こ

していません、

遊覧船同業者が自ら救助に向かう

漁業者に救助要請をして協力出動してもらう

どれもしていません

事故を起こした遊覧船業者と同業3社との

営業上の、運行上の深い軋轢が有ること

当然のように漁業者との間にも相当な軋轢

が有ったであろうことは想像出来ますが、

それを言う事は先ず遭難者を救助してから

にして頂きたかった

助けられる可能性を徹底的に追及して遭難者

を助けてからにして頂きたかった

海の上に完全な安全などあろうはずがない

まして、遭難事故が発生している海に安全

などあろうはずはない

その危険な海で

自らの危険をおかし、自らの危険をかえり

みず、自らより苦境にある遭難者の命を助け

る人が尊ばれるのです

もちろん、これが出来なかったとてその人を

責めはしません

しかし、事故後にこれら関係者の一人一人が

事故を起こした船長と運航会社の過失を並べ

たてている、助け得なかった人に発言権は

ない沈黙して頂きたい

第1管区海上保安本部に至っては、海上保安

庁としての遭難者救助義務を3時間も遅延

しておきながら、それが為に26人の命を

失しておきながら、反省の謝罪も無いままに

司法権の行使は徹底して行っています

これでは、亡くなった方々は浮かばれません

救助する人は、

これまでに救助体験の有る人は、

皆々自らの安全を犠牲にして、いいえ、

遭難者の安全確保を優先して対応して来ま

した

海を良く知る私が、事故直後の海上模様を

映像で見る限り、ウトロ漁港に在泊する

定置網漁船なら救助の為に出港出来たと

見ています


先の大戦末期、私の部落の沿岸で小さな油槽

船が敵機の機銃掃射を受け炎上、乗組員は

総員退船の命令で海に飛び込み浮遊した

敵機はこの浮遊する乗組員に機銃掃射をかけ

て来たと言う

これを見た地元の漁協組合長、自警団長の

佐久間竹松は自警団と海女を非常呼集して

救助作戦を展開した

自らの漁具倉庫から堅撚りの藁縄を持ち出し

海女の腰にしばり命綱として海に送り出し

浮遊する乗組員の救助にあたらせたと言う

砂浜に引き上げられ若い乗組員の服を脱がせ

素肌になった海女が抱き抱えて海女の体温

を冷えきった乗組員の若い男に移し温めて

助けた

機銃掃射の続く中での救助作戦です


銚子河口てんでんしのぎと言います

河港の銚子港は、現在の港口が造成される

までは時化日には入港の難所でした

利根川上流から流れ下る大量な河川水と海

からの大波がぶつかり河口では想像を絶する

三角波が立ちます

これに巻き込まれたらひとたまりもありま

せん

故に、この難所では遭難船を見ても先ずは

自船の安全を謀りなさい

自船の安全を優先して良いのです

その言い表しが

「銚子河口てんでんしのぎ」と言う言葉で

顕されます

戦前、

大正2年生まれの突きん棒船の船頭

池田武夫は、銚子南東沖の漁場で荒天となり

銚子に避難を決めた

港口にかかると案の定河口が塞がっている

(既に大きな三角波が立ち入港出来る状況

ではない)

波待ちをして(波の周波を見て比較的波の

小さな時間帯を見い出だし一気に入港する)

頃合いを掴み全速で港を目指した

酉舵表(左舷前方)に千人塚を仰ぎ、舵場の

家室の天井の小穴から頭だけを出し、足で舵

棒を操っていた船頭は千人塚に黙祷を捧げ

面舵表(右舷前方)に目をやると上流から

流され来る漁船を発見、即座に救助を決断

船は大きく酉舵に旋回、やっとくぐり来た

三角波の海に向かう事となる

「野郎供出ろ」と言って乗組員を甲板に呼び

「綱あ出せ」と言って表(船首)の倉庫から

かこい綱(荒天時に自船を係船する一番太い

丈夫な綱、曳航索にも使う)を準備させた

「やなあつけろ」と言って先行して遭難船に

繋げる細い綱を結ばせた

漂流船は酉舵艫(左舷後方)に見える

大きく酉舵旋回して面舵すれすれで綱を渡そ

うと考えているところに表から大波に突っ込

んだ

若衆(乗組員)はずぶ濡れになりながら

「やっと入れたと思ったのに、親分(船頭)

はうっちゃって(捨てておけば、無視する)

おけねえ性分だから俺らもやっか」と言って

真剣になった

酉舵旋回して全速をかけ漂流船を面舵になる

ように舵を取り、全速で漂流船の側を通り抜

けざまに綱を投げた

細物は、漂流船に届き若衆が必死にたぐって

いる

繰り出した曳航索の尻手は池田武夫の船の

表の棒主に括られ艫の棒主に巻かれて伸びて

いる

曳航索が張り切ったのと曳航索が漂流船の

の表の棒主に括られたは同時だったと言う

綱取り作業は成功した

池田武夫はそのまま全速で曳航して銚子港の

河岸に接岸させて初めて我にかえり発っした

言葉は

「わっだら、おおぼねだった、はやあきもん

とっけえて、風邪ふうなあよ」(乗組員の

皆んな大変ご苦労さんだった、早く濡れた

服を着替えて、風邪を引かないように気を

つけてくれ)と言うと河岸に上がった

この救難劇を見ようと黒山の人だかりが

出来ていたと言う

その人を押し退け池田武夫の元に駆けつけた

のは助けられた漂流船の船頭

池田武夫の言葉によれば

「野郎、おいおいない放しでおが足元に頭

擦りつけてただなあい放しだった」(その

船頭は、泣き続けるばかりで言葉が出ず

俺の足元に頭を擦りつけてただ泣き続けた)

と言う

池田武夫は続ける

「こっちもでいじょうぶと思ってやったあ

だねえ、あんとかしべえと思って体がうごっ

ただけ」(俺は、助ける見込みがあって

行動した訳ではない、なんとか助けなければ

と思って体が先に動いただけだ)

「そっで、おらあ正気に戻ったのは、名村ん

親父の声聞いてだ」

「池田あ、船頭、良うやった、俺の回船が

人助けしてくれて鼻が高え、ありがとうよ」

(俺が正気に戻ったのは回船問屋名村商店

の旦那の誉め言葉を聞いてだった、

つくずく嬉しくな思った)

助ける人も、助けられる人も、極限を生き

抜いた時、言葉など出ない出せない、

いや、必要ないのでしょう

私は、もの心つかない小学校にも行かない

頃から池田武夫の膝の上で幾つもの救助の話

しを聞かされた

池田武夫の関わった救難はみな成功している

小学校尋常科卒業の池田武夫に技術や知識が

あろうはずはない

あったのは、熱意であり、根性であり、

生命愛だった

その池田武夫とて、艫取り(船頭補佐役)と

して秋刀魚船で航海中三陸沖で機関室から

出火遭難し救助される側になっている

知床の遭難事故で、

保安庁であれ、民間人であれ、

佐久間竹松が池田武夫が一人でも居てくれたら

26人は助け得たと思っています

今回の事故後3日間位、第1管区海上保安

本部は、遺体収容を救助と表現していた

こんな偽善が許されるのだろうか

私は、24日のブログに「絶望」と表現した

水温5度以下の海で30分生きられるはず

がないからだ

現実を直視していない海上保安庁の記者向

け発表、これを受けての報道機関の報道

姿勢には事実を伝えようとする真剣さが

見えない

残念では言い顕されきれません