自然環境破壊が水産業に与える壊滅的影響その3
昭和40年代初め、
私は、舗装もされていない、道路敷さえも
区分けされていない部分の多い現在の
湾岸道路を東京砂町から習志野までトラック
で走った事がある
煙突が見えて、海だった自分が走っている
所は川の護岸と橋だけがしっかり出来て
いて、あとは砂ほこりとぬかるみを習志野
まで1度だけ走った、右手は見渡せない
所まで砂漠が続いていた
東京湾部分に流れ込んだ厚い砂礫層が隆起し
利根川が銚子に流れる~と言う昭和30年代
初頭に見る東京湾の原型を示す自然環境は
完全に破壊されたのです
その結果40年代以降を見るとき
はまぐりは姿を消した
今、海苔の不作が言われて久しい
原因は分かっていない
水産業は成り立たなくなったのです
不作の遠因である埋立と人口の急増は既定
事実と化し既得権化されました、東京湾の
埋立の裏話を著した「東京湾は死んだ」
と言う書籍に詳しい
市川の風呂屋の煙突の煙を目標に船を漕いだ
海苔漁師は鬼籍に逝ってしまっている
木更津を過ぎて、東京に向かう房総西線の
線路の直ぐ際まで海苔ひびが立った海が
迫っていた景色を知る人はすでに少い
房州街道、千葉街道、
127号、14号国道は海際に通されていた
部分が多い、稲毛の14号国道の土の法面に
木の杭を打ち、「海の家」が建てられ建ち
並んでいたなど想像出来ますか
千葉市以北の内陸部は、人口過疎地でした
と言って信じる人がいましょうか
昭和30年代以降、
千葉県は経済発展を至上目標に莫大な投資
を重ねて来た、千葉県企業庁が先導したが
開発投資は自然環境破壊への投資である
事に気付く事がないまま突き進んだ
「東京湾のすずきは油臭い」富津、木更津
では、今に語り伝えられる、昭和40年代
発の伝説です
40年代行き詰まった目先の改善に走り
ました
壊された自然界は、見えるところで改善
したかに見えても、現代の海苔不作に
顕される様に深く潜行し水産業を蝕み続け
修復不可能な破壊を重ねています
破壊された自然環境
人工の自然環境擬きを自然環境と錯覚して
いる人々が如何に多いか
100年前の自然を想像して回想してみて
頂きたいと思います
それには、砂浜の渚が一番です
打ち寄せる波は、
鏡のような渚は、100年前と殆んど
同じです
大切にしたいものです