千倉白浜の海岸線を巡って
の行き帰り千倉白浜の海岸線沿いの道路を
走りました
「千葉県営特別第三種漁港千倉漁港」
銚子港と並ぶ千葉県一の水揚げ岸壁延長を
有する漁港
の看板を改めて見て、戦後官民の手で改築
に次ぐ改築を続けて来た歴史がよみがえり
ました
沖の岩々を取り敢えずコンクリートで繋ぎ
その囲いの中には、浅瀬有り岩礁有りの
とても完成には程遠い港の中で台風を凌ぐ
漁船のひしめき合い、
大波でもやい綱が切れて座礁し港内で沈没
してしまった鯖船
浚渫の予算が付かず漁船員がねこ車で人力
浚渫をした風景
昭和40年代末には、やっと現在と同じ
輪郭が出来上がり、1日50隻の鯖船
が順番待ちで鯖水揚げをした日々
岸壁から港の中に落ちる人が出るのでは
ないいか?と心配する程に集まった見送り
の家族に手を振り、五色のテープを握りしめ
表(船首)のマストに高々と掲げた福来旗
(フライき)~大漁旗をたなびかせて
軍艦マーチを高らかに鳴らし、地元3校の
鼓笛隊、吹奏楽団の演奏に送られて勇躍
出港して行った秋刀魚船
思い出す風景の数々には、常に多くの船と
多くの人が居ました
市場は清掃のために撒水された海水で濡れて
いました
しかし、
見て回った千倉漁港には、千葉県の調査船
2隻と定置網の船2隻だけが正月飾りも
無いままに浮いているだけでした
30年の歳月はかくも見事に千倉の栄光の
日々を消し去りました
誰が犯人だったのでしょうか
私も犯人の一人です、自らの経営体の維持
がつかなくなりながらも20年千倉で頑張
りましたが叶わず、千倉を逃げ出して10年
千倉に貢献出来ていません
自己反省の厳しい初参りになりましたが
残されたわずかな時間を少しでも清く
少しでも正しく生きたい思いです
私が知る魚の事を少しでも伝える事しか出来
ない、それをしていこうと思います