直売所千倉

千葉県木更津市にある、日本一小さな魚屋です。半世紀プラス25歳の青年が一人で切り盛りしています。50年の知恵と25歳の純真さが魚を美味しくお届け致します。 住所は 木更津市長須賀327ー1.電話09044300376 当店でのお取り扱いは、日銀カードのみでございます。還元ポイントは有りませんが、基礎手数料ゼロの日銀カードが 、最もお得です。 当店では、お売りする魚についてお客様にご納得いかれるまでご説明申し上げています。漁獲海域、漁獲方法、水揚げに至る経過、水揚げから店頭までの経

鮑開口

17日7時掲載

三陸北部の気温は0度帯、三陸南部から

常磐の沿岸部では0~5度

銚子から南では10度以上にはね上がり

ます今朝の気温、

各地とも静かな晩秋の朝が明けようとして

います

三陸各地では秋の風物詩、鮑の見突漁の

開口(かいこう)が予定されています

小舟のこべりに座り箱メガネで海底を覗き

岩にへばり着く鮑を長い棹の先に着けた

鉤で引っ掛けて捕る漁法です

房州の素潜りに違って海面から見える物

しか採取出来ません、資源保護の為の究極

の一策です

欠点は、鉤傷が付いてしまい活かされない

事ですが

昭和40年代までは、道路事情が悪く鮑を

活かして生食用にする習慣が無かった現地

では、専ら乾鮑(かんぽう)に加工して

中国料理の材料に供されました

山から吹きおろす微風の朝土地の長老の判断

で鮑の採取を決め~開口と言う~操業します

獲って来た鮑は、僅かな無傷物は選別し大半

は蒸し充分に火を通し、糸又は細い藁縄で

くくり、高く丸太で作った干し台に吊るし

ます

0度帯の割合暖かな気温で水分が抜けた

数日後、北海道以北を東進する低気圧から

伸びる寒冷前線が通過すると冷たい乾燥した

北西の強風が吹き一気に乾燥が進みます

石のように固まった物それが乾鮑です

これは、三陸地方の専売特許ではありません

古くには房州で作られていました

房州~安房の国が成立するより昔、後の安房

の国の一部が朝夷の国と呼ばれた時代、

朝夷の国たけだ郷の木簡のついた

「のし鮑」が 朝廷に税として納められて

います、乾鮑の原形です

たけだ郷に由来すると思われる地名を現代

に探ると明治の合併で出来た健田村が昭和の

合併まで存在し、小学校名として平成20年

代まで存続しています

私が知る房州で乾鮑を造った最後は、

昭和20年8月15日の数日後、

私宅に寄宿していた2人の兵が現地除隊に

より北海道の自宅に帰るように命令を受けて

支給された物は生米5升だけだったそうです

私の祖母は、飯ごうがあっても汽車の中では

煮炊きは出来ない、考えた末、乾鮑を食料と

して持たせようとしたそうです

列車事情が良くないから1週間は覚悟しなけ

ればいけない

本当の乾鮑は気温が高いから出来ない

海士のもとを駆け回って鮑を工面して来て

良く蒸煮して鰹節を造る要領で一晩一日

燻して速成の乾鮑に仕上げ汽車の時間の

迫った2人に持たせたそうです

「行き合う先で食い物を持たない人に出会う

だろう 、米は分け与えても良いが、鮑は絶対

分けては駄目だ、鮑を噛み噛みすれば

それだけで北海道まで帰れる」と言って聞か

せて送り出したと話していました

因みに私の祖母は、明治時代に鮑の罐詰も

造ったと言う加工屋の娘素養はあったよう

です

近年、漁協が近代的に造ったようですが

原理を知らない者に出来るものではありません


昨日ご案内していた北洋域の秋刀魚漁は

ややまとまった漁となり、漁場にいた船の

4割程の船が本日三陸4港に1000t近く

水揚げします

民間秋刀魚漁船団が、新しい漁場開拓調査を

して空振りに終わったようですと書いた事が

ありました

今回、この船団は、全船既存の北洋漁場で

操業して、本日の内地水揚げ量の3分1を

占める大量の水揚げをしました

やはり、新漁場開拓調査と言う大役は

調査機関の調査船が担うべき範疇と思います


鯖旋網漁は、時化の為休漁と言う事ですが

資源保護の為の申し合わせ休漁の意味合いが

主だと思います

昭和の頃、1日30000tも漁獲していた

時代に漁獲規制を厳格にしていれば鯖資源は

枯渇する事はなかった

水産庁は野放しだったが 、鯖一本釣り

たもすくい網漁船100隻からを抱える

千葉県水産課も何もしなかった

何もしなかった事が、千葉県の沖合漁船

漁業を壊滅に追い込んだ最大の犯罪だと

声高に言う

資源保護は、三陸鮑の見突き漁のように

非効率でも地味に100年単位で長く続け

なければならない

昭和40年代、

旋網漁船団が大型化を計画していた頃、

千葉県の鯖一本釣り船団は、既存の鯖漁場を

守る為、筵旗ならぬ、大漁旗を振りかざして

3000人規模のデモ行進を国会に向けて

行った歴史もありました

この時、旋網船団の大型化を謀ってもそれは

安全性の向上の為に限定的に考えて、網の

大型化を認めなかったら1投網3000t

の漁獲などと言うバカげた漁獲にはつなが

らず資源量は温存され続けた事でしょう

水産庁は、平成2桁台になって、漁獲規制に

乗り出しましたが後の祭りです

政府が気付かない事は、零細漁民を良く知る

はずの千葉県が水産庁に強く働きかけをする

これが千葉県水産課の仕事だった