鯖を背負って長女誕生
房州の鯖秋刀魚船団70隻余りの崩壊は
昭和57年の伊豆諸島海域での漁獲皆無が
引き金になった
1月2月と連日の探索にもかかわらず真鯖は
どこにもいなかった
昭和52年の産卵が極度に少なかったと
水産試験場から公表されたのは、
55年の漁獲量減少57年の漁獲量皆無の
不幸な現実にのめり込んでからであった
それでも、北部太平洋海区の真鯖資源は
成魚群1群だけが残存していた
当時は、
真鯖、秋刀魚、真いわしは、伊豆諸島海域、
同じ道を帰って来ると信じられていた
昭和56年秋
八戸から銚子沖にかけ大型旋網船団により
曲がりなりにも漁獲された真鯖は
伊豆諸島の産卵海域には南下しなく
伊豆諸島海域に待ち受ける鯖一本釣り
たもすくい漁船団は漁獲皆無に終わり
たもすくい漁業終焉の序章となってしまった
銚子沖から伊豆諸島海域へ南下せずに別の
ルートへ1群全体が行動してしまったので
ある
予兆はあった、昭和56年春も
銚子沖から伊豆諸島海域への南下は順調
ではなく2月になっても勝浦沖に滞泳して
後に伊豆諸島海域へ南下した事実を認識
しなければならない
いずれ、昭和56年12月末まで銚子沖に
存在した真鯖群は57年10月末まで存在
場所不明となった
例年であれば9月から始まる八戸沖の
真鯖未成魚群の大型旋網漁船団の漁獲も
皆無で推移した
水産試験場筋は資源枯渇説を流布し
漁船団、陸上水産界もこれに流され暗い
空気が漂い続けた
そこへ八戸の一部情報筋より鯖来遊の報が
もたらされた
「八戸沖に真鯖の大群」
銚子の業界でも信じる業者は極わずか
私もにわかには信じ難かったが八戸の問屋
からは再三の電話が有り
11月1日の電話では
「八戸に集結している船団は本日全船出漁」
「陸の業界は皆さん様子見、漁が有れば
業界の準備が出来ていないので大混乱に
なる、トラックを八戸へ回送しなさい」
と言う
私は半信半疑ながら手持ちのトラック3台
を11月1日午前中に出発させた
2日早くに3台は八戸到着
運転手からの情報では
「集計困難な程の大漁、1万トンは軽く
有る」「トラックが無くて入札が進まない」
1日の問屋からの情報通りになった
当店は、3台25トン買えるから満足
4日買付のためのトラックを雇車する事を
最優先にして確保した
冷凍工場の準備を急いでいると買付完了
の電話が有り、更に馬力をかけて
ホークリフトを操作していると、事務室の
戸が開いて母親の声
「生まれたってよ❗️女ん子だってよ」
長女誕生の朗報でした
正月の結婚以来10ケ月、新婚旅行中も
鯖情報を取りながらだったのに漁が無く
長女は10月10日をためて自分の
「食い扶持」を背負って生まれて来て
くれました
当店は11月12月の2ケ月で1~10月
の赤字を埋めて余り有る稼ぎをしました
平成の30年からすると夢又夢の私の最良
の1日でした
昨日長女は言いました
「お父さん、私が男に生まれていればね
お父さんの人生も違ったね」
昭和57年11月2日晴
「にいさん、いいったね、いいったね」
と従業員の皆皆から言われた長女の誕生は
私の最良の日でした