直売所千倉

千葉県木更津市にある、日本一小さな魚屋です。半世紀プラス25歳の青年が一人で切り盛りしています。50年の知恵と25歳の純真さが魚を美味しくお届け致します。 住所は 木更津市長須賀327ー1.電話09044300376 当店でのお取り扱いは、日銀カードのみでございます。還元ポイントは有りませんが、基礎手数料ゼロの日銀カードが 、最もお得です。 当店では、お売りする魚についてお客様にご納得いかれるまでご説明申し上げています。漁獲海域、漁獲方法、水揚げに至る経過、水揚げから店頭までの経

みずみずしいめばち鮪、大さんま、汐子

🐟️🐟️天日干し干物造ります🐟️🐟️

何時からお日様が出ましょうか?

お昼にお日様が出て呉れたら天日干し

干物を造ります

干し網の上からお買い上げください

お日様の匂いが美味しい

🐟️鯵、🐟️飛魚

🐟️🐟️本日のお魚🐟️🐟️

🐟️めばち鮪が美味しい~真っ赤な身色

に薄っすらあぶら、ねっとり身質です

生めばちをどうぞ

ぶつ切りg300円、

さくg550円~750円

🐟️大さんま~塩焼きにどうぞ、お刺身も

🐟️汐子~お刺身用

🐟️ほたて貝~お刺身、焼き物

🐟️太刀魚~塩焼き

大さんま、汐子、太刀魚は岩手県

🐟️鯵~お刺身用

🐟️活〆こち~お刺身

🐟️活〆ひらめ~お刺身

🐟️活〆くえ~お刺身、お鍋

🐟️金目鯛~お刺身、煮魚

など

超高級魚は週中がお安い❗️

🐟️お刺身盛り合わせ造ります🐟️

何なりと調製致しますお電話ください

11時に開店致します

18時まで営業致します

よろしくお願い致します

 

店主の独り言

5歳が見た光景

私が生まれ育った房州白子は、江戸時代

海の中に設定された天領「房州七浦」の

北端に位置し、代官所が開設されていた

江戸時代の大地震で隆起した港を代官

名代が私費を投じ隣村から人足を集め

掘り下げて港機能を復旧させたとの記述

も残る

江戸日本橋の魚問屋街でも房州を代表

する名の通った浦でした

関東大震災で又隆起しましたが、前例に

倣い補修して港は使われて来ました

敗戦後占領下で施行された漁業改革で

誕生した「新漁業協同組合」の組合長

佐久間竹松は、早速に近代的な漁港の

修築に取りかかり、当時在籍した10数

隻の漁船を収容出来る現存する港を昭和

25年に完成させました

明治中期生まれの佐久間竹松は、東京に

出て放浪の後帰郷し、市場運営に参画

し、定置網漁を興します

5歳の私が見た光景は、新設なった

白子港に入りきれない船と岸壁に山と

積み上げられた鰤、鰤、鰤でした

鰤を積んで沖から帰る船、

箱詰めした鰤を積んで築地に向かう買丸

運搬船)がぎっしり入っていました

この港が出来上がらず隣の港に寄留して

いた持ち船を台風で沈めてしまい意気

消沈していた父ちゃんに手を引かれ

鰤の大漁を見に行った時に5歳の私の目

の前に広がった光景です

佐久間竹松は、文無しで帰郷し

あちらの農家、こちらの小金持ちから

お金を借りて定置網を興したと聞いて

います

10年で邸宅を建て、20数年でこの

大漁につながりました

この大漁の水揚げの最中、佐久間竹松

さんは大きく手招きをして5歳の子供を

呼んでいます、父ちゃんは自分が呼ばれ

たと思って立ち上がりましたが、竹松

さんは「せがれだ、せがれだ」と大声で

言っています

5歳の私がよちよち歩いて行くと背丈

より大きな鰤をくれて

「父ちゃんに造ってもらって食えよ」と

言って人夫に持たせて送らせました

黒山の見物人の中から5歳の子供にだけ

鰤をくれた理由はありました

その少し前、

床屋で順番を待っていてやっと番になっ

たと思うと竹松さんが来ました

床屋のおやじは「親父さんどうぞ」と

言って私は又置いてきぼり

私は「ふざけんな、待ってた人を追い

越しやがって、はあ来んもんか」と啖呵

を切って駆け出しました

竹松さんは「あの小僧はどうん野郎だ」

と聞いたそうです

床屋のおやじは「茂さん(私の親父)

のせがれです」と答えると

「ほお、親の茂ちゃんのがいた(向こう

見ず、乱暴)は俺以上だが、あのせがれ

は親以上だ、面倒見てやるべえ」と言っ

ってくれたそうです

その気持ちが1本の鰤に繋がり、

5歳の子供が見た大漁の光景は私の網膜

に焼き付き、私の一生を縛りました

父ちゃんの船を再興したい

自分もやまた(竹松)の様な立派な漁師

に成りたい

夢だけを追って一生は過ぎました

私の夢に終わらせないで、子が孫が

まね(大漁旗)を揚げてくれる事を新

しい夢に生き繋げたい

魚はいます❗️探すが漁師❗️

漁師は略奪と循環再生の狭間に

生きます❗️