居心地の良い生まれ故郷
自宅に隣接する冷凍工場の機械音は止まって
20年、1時間に1回通る電車の音以外聞こ
えない自宅で今朝も目覚めました
退院して2ケ月半、半月は療養に努めました
が、
2ケ月は、水揚げ状況を収集して、お客様の
ご様子を伺いながら店の再開を模索して来ま
した
15年前、それまでの商売に失敗して千倉町
に居ずらくなり、大きな負債を残したまま
木更津に移りましたが、この2ケ月半自宅で
生活する中で故郷の温かみをしっかり感じて
います
かって、数少ないながら敵対関係にあった
知人は、マスクを忘れた私に自分の予備の
マスクを分けてくれるし、
私の懐具合が良くない事を承知で家の屋根
工事をしてくれる知人もいます
このブログを読んでくれていると話しかけて
くれた人もいます
お金の迷惑を掛けっぱなしの先輩も忘れたか
の素振りで私の病状を心配してくれます
お盆のお墓参りで会った人達は、丁寧に挨拶
してくれましたし私も丁寧に返せました
30数代1000年以上に亘り、先祖がこの
土地に生き続けて来た事実は大変重いもので
あると思います
互いに数十代に亘り培われたしがらみは、
とても1代にしては崩壊し得ない結び付きと
先祖の存在を有り難く噛み締めています
昭和40年3月10日
高校を卒業して以来、新婚旅行中も毎日浜の
様子を聞きながら過ごした私は、3ケ月もの
間仕事を離れた事はありませんでした
今回の仕事からの離脱はものごころがついて
からの60年を振り返るに役立ちました
今、NHKドラマ「もえ」にはまっています
震災10年、
ある人は、10年前を今日として対峙し
ある人は、忘れた顔して過ごそうとし
ある人は、腹にしまって生きようと
第三者は、それらをオブラートにくるんで
見つめているのかな
などと興味深く楽しみにしています
私は、三つ子にして親父の失敗に遭遇して
親父の商売の再興のみを考えて頑張る中で
曙光が見えたのに、自らが大失敗を起こし
平成時代は谷底にまっしぐら
私は、今でも親父の夢をかなえる事は
出来ないか夢見ています
故郷は、夢を膨らませるにいい所です
体力の回復は完全ではありませんが、
気力は充実して木更津に帰ります
よろしくお願いいたします