直売所千倉

千葉県木更津市にある、日本一小さな魚屋です。半世紀プラス25歳の青年が一人で切り盛りしています。50年の知恵と25歳の純真さが魚を美味しくお届け致します。 住所は 木更津市長須賀327ー1.電話09044300376 当店でのお取り扱いは、日銀カードのみでございます。還元ポイントは有りませんが、基礎手数料ゼロの日銀カードが 、最もお得です。 当店では、お売りする魚についてお客様にご納得いかれるまでご説明申し上げています。漁獲海域、漁獲方法、水揚げに至る経過、水揚げから店頭までの経

かじき鮪、ねえらんぼう、真かじきの漁法~その1

真梶木を獲る漁法は

1、突きん棒

2、活餌縄釣り

3、曳縄釣り

4、鮪延縄の混獲

とあります

初回は突きん棒漁について書きます

房州では後継者が無く突きん棒漁専業の船は

既に存在していませんが、昭和40年代まで

は多くの船が突きん棒漁にたずさわって

いました、中心地は千倉町白間津、

房州大橋際にある白間津港には、木造の

突きん棒専業船がぎっしりと入港して、

お正月、4年に1度の部落の祭日に福来旗?

(ふらいき)~大漁旗を掲げた様は船頭の

心意気そのままの景観でした


沿岸漁民がろ漕ぎの船にエンジンをつけられ

る様になった昭和初期、房総沿岸に突きん棒

漁法は自然発生的に始まりました

船の舳先に長い角材を取り着けこれを土台に

して突き台を造ります

4m位の樫の丸棒(直径3cm位)の先に三股

の金具を付けこれにそれぞれ1個ずつ3個の

銛が付きます

これをもっざお(銛棹~もりさお)と言います

銛には1ミリ位のワイヤロープが3m程付いて、

3本のワイヤを束ねて5ミリ位の堅撚りの綱に

つながります、この綱を「やな」と言います

昔は綿糸でしたが昭和40年後半にはクレモナ

に替わりました、50ひろ(約75m)~

70ひろを1単位として専用の竹篭(やな篭)

に収納します

綱の先と尻手(しって)はやな篭の縁に

出してあり、尻手はやな篭に括りつけられて

いて、輪(ち)にしてあります、魚の引きが

強く1篭で間に合わない場合直ぐに連結して

繰り出す為です

戦後、19トン型の木造船で始まった

突きん棒船は29トン、39トンと大型化

していきましたが29トン型が主力でした

ついでえ(突き台)の真ん中前には、はや

~一番(船頭)が棹を抱えて立ちます、

両脇に二番、三番という突き手がそれぞれ

棹を抱えて立ちます

おもて(船首)のマスト上には人一人が入れる

鉄製の篭が取り付けられ見張り員が配置され

ます、このわけいし(若い衆~乗組員)は

魚を発見し、泳ぐ先を見定めて舵取(操舵手)

に手まねきで連絡します

この所作を舵をこぐと言います

各突き手の抱える銛棹に繋がるやなは1篭

だけ突き手の後ろに配置されています

予備のやな篭は10篭以上、突き台より1段

下がったおもて居住区上のデッキに整然と

並べられ、銛棹は装着した状態で10棹以上

準備されています

やな篭に並んで浮け樽(10リットル位の木

の樽)に結束用の細縄が付いて置かれています

標識用の竹竿も小旗が付いて置かれています

これを管理するわけえしは2~3人、計

6~7人がおもての要員です

舵場(操舵場)はとも(船尾部)に有り、

かむろ(波が及ばない様に囲われている~

航海中操舵室)の屋上です

舵柱が屋上に伸び、舵柱にあけた穴に舵棒を

差して舵取(船長)と補助員2人で操舵

します

機関長は、機関室屋上に装備された変速機

調速機を操作しています

油差し(機関助手)は機関室と機関長の傍を

行ったり来たり、時間が有れば、機関室屋上

で魚の発見に努めてます

めえろうし(前漁師?)~見習いは適宜な

場所で魚の発見に努めます

めえろうしは、乗りたては無給、一つ仕事

が出来て小遣い銭、ひと通りの仕事が出来る

様になって半代(はんしろ~一代~1人配当

分の2分1)が貰えますが、「見代」(みしろ

~見つけた魚が獲れたら発見者に払われる

報償金)は突き手、舵取り以外皆平等、めえ

ろうしも一つ分貰えます、だから真剣に

見張りました(昭和40年頃で300円~

500円位~陸上労務者の日当位)

合わせて10人~11人が乗り組んでいました

房州の主力船である鯖船は舷側から更に

袋棚とよばれる張り出しが有りますが、

突きん棒船には無く、胴の間(船体中央)

まで舷側がむき出しです、胴の間からとも回り

は台木とよばれる張り出しが有り通路と

なります

舷側は一部デッキまで切り下げられ、突いた

梶木を引き揚げ易く造って有ります、舷門

と言います通常は厚い板を差して塞いで

あります

袋棚が無いのは、梶木を追って波に突っ込

んだ時袋棚に当たった波がかえって魚に

被り、魚がさずむ(潜ってしまう)のを

防ぐ為と言われています

以上が乗組員と船体の概要です

次に漁獲方法を述べます

その時代、千倉の夏祭りが過ぎると既に

北に上り索餌行動で群れを成すかじき鮪を

追って、金華山沖から襟裳岬沖まで出漁

しました

女川、気仙沼、大船渡、釜石、宮古

北海道浦川などが基地となりました

衛星画像も海況図も無い時代、定地水温と

経験だけが頼りです

水温を計りながら、良い水色帯を調査して

冷水帯との汐目を探し、魚を見つけるのは

経験と目視だけです

微速で探索調査していたところ、船頭が左舷

45度に銛棹を高く構えました

左舷45度遠くにひれ発見の合図です

かじき鮪は背鰭を海面に出して餌を探します

舵取りは、かんかんかんと鐘を連打して

機関士に全速力を指示、取舵にそろり舵を

きり船頭の銛棹の示す方向に船を進めます

見張り員が、手をまっすぐ前にして

「ようすろう」(直進)を合図、水平にした

手のひらを下げました、速力を下げろの合図

突き易い位置に魚が進みません

船頭は「けえもり」(塩漬けにした小鯖等)

を向けたい方向に投げました、舵取りは

すかさずそっちに船を向け準備、見張りが

手を回しました、機関士は全速へシフト、

銛棹が投げられました、即座に前進停止、

やなが出て行きます、命中したしるしです

おもてのわけえしがやなの行き足をセーブ

しています、

次の魚が見えないから突いた魚を獲り込む

指示が船頭から出されました、

やなの方向に微速前進、やなはどんどん取り

込まれます、銛棹が浮いています、銛棹を

回収しました、突然やなが張りました魚が

暴れています、やなを繰り出し様子を見ます

なんとかこべり(舷側)まで引き寄せました

が命中箇所が尾の近くで魚の生命的ダメージ

は僅か、5m位の竹棹の先に付いたかぎ2丁

を口に掛けて慎重に引き寄せまんりき(15

mm位の鉄の丸棒をかぎ状にして5分~15

mmの綱がついている)を顎に掛けました

開けられている舷門からわけえし3人で

曳き揚げるは容易い事、

(上手な突き手は魚の可食部分を傷付けない様に

頭か尻尾を狙います、その方が高く売れます)

早速、刃当たり尺2(36cm)の裁割包丁

で腹を割りえら、わた(臓物)、血合を取って

洗浄し、肌荒れを防ぐパーチ(油紙)でくる

んでかめ(魚槽)に納め氷でサンドイッチに

して冷却します

魚を獲り込んだ後は、直ぐに次の獲物を求め

て調査に移っています

遠くの5、6隻の同僚船から頻繁に黒煙が

上がるのを見つけました、魚を見ては全速

をかけているしるし、船頭は棹を抱えたまま

左手を掲げて漁場移動、寄せ船(漁の良い船

に近寄る)を指示、移動中も調査続行です

皆の気持ちが少し緩んだところにめいろうし

の「浮いたあ」の大声、舵取りは指差す方向

に舵を取っ払ってかんかんかんと全速を指示

機関士は指示を待たず調速機は全開に、

フワナー(排気管)からは一瞬黒煙が舞い

上がり、皆の気持ちは一気に高まります

右舷前方にかじきのなむら(群れ)、

10以上の背鰭が見えます

舵取りはなむらの後ろに船をもって行きます

魚は気付いていません

千載一遇のチャンス

船頭は一番後ろの魚を狙っています

2番も3番もその前を行く魚に狙いを定めて

船頭の銛を待っています

(2番は船頭より早くに3番は2番より早くに

銛棹を投げてはいけない掟があります、船頭の

面目を潰す事に併せて、船頭の狙う魚より前を

行く魚を突けば後を行く船頭の狙う魚は確実に

気付きさずんでしまい、結果漁獲数量が少なく

なるからです)

控えのわけえしは3人のやな篭に浮け樽と

標識の旗🏁棹をしっかりと括っています

船頭がもっざおを投げました

すかさず2番3番ももっざおを放ちました

3本のやなが跳んで行きます

3発命中です

控えの3人はそれぞれのやな篭と浮け樽と

旗棹を抱えて狭い舷側上を走り、胴の間を

過ぎると海に投げやりました

なむらを見付けた機関場の上から自主的に

おもてに来ていためいろうしは、予備の

もっざおを船頭に渡しました

やな篭を海に放っておもてに戻ったわけえし

が2番にも3番にももっざおを渡しました

群れの後ろから3本仕留めましたが前を行く

魚は気付かず泳いで行きます

控えのわけえしの準備が出来ていない内に

船頭の棹が放されました

2番も3番もすかさず追い打ちをかけました

又、3本命中です

篭に浮け樽を括る間もなくわけえしは舷側を

走りやな篭等を海に投げました

めいろうしは又船頭にもっざおを渡して

います

3番が、控えに回って2番にもっざおを渡し

て自分の棹を抱えて位置に戻りました

船頭が3打目を投げ命中させますが魚に気付

かれました

2番と3番の放った銛は1本外れなむらは

さずんでしまいました

船頭は初戦終了を告げました

都合8本を仕留め6本は海に放りました

2本はやなを支えています、1本はとも(船尾)

に回し舵取り補助とめいろうしでしなって

引き寄せました

おもてで取り込み中の仕事が終わるのを待って

胴の間へ移動して曳き込みました

次に海に放ってある6本の回収です

デッキに積まれた伝馬船が降ろされ、

わけえしがめいろうしを連れて2人でろ漕ぎ

で回収に向かいます

本船は、もっざお、やな篭を準備し直し

2回戦の準備完了、調査続行するも他船が

集まって来てなむらは無くなり1本ずつ

3本突いて都度本船に取り込みました

双眼鏡で伝馬船を見ると難渋している様子

伝馬船から離れて2本の旗棹が見えます

これの回収に向かいます

2本を取り込み、伝馬船に寄せてやな篭を受け

取って伝馬船も積み込んで魚も全て回収

都合12本を仕留めました

魚を手当てしてから、めいろうしが炊いて

置いた冷めかけた飯とたっかん(沢庵)

急いで煮た腹物(かじきの腸)で腹ごしらえ

アルマイトの食器に注いだお茶には飯粒が

見えます、

(ご飯を炊いた釜に清水を入れて焦げ飯を取り

ながらお茶用の湯を沸かすから飯粒が流れる

のです)

今日の稼ぎ頭はめいろうし、見代8本分

4000円の配当が約束され、初めての大金

にニコニコ☺️です

漁場は、推定で黒崎の北東沖40マイル付近

宮古まで50~60マイル、釜石までだと

12時間以上の航程、帰港水揚げにはもう

少し漁獲が欲しいところです

時間は10時、昼過ぎまで上積みを狙って

調査続行です、北東沖に調査して更に3本獲り

ました、

14時より反転、陸よりに調査しながら帰途に

突き手3人は朝4時からついでいのさい(

突き台の先)に立ち放し、船頭は2番3番に

休む様に指示、2人はともに行ってこべりから

立ち小便をして、やかんに残った冷めた茶を

食器で1杯飲み込んで一服付けました

舵取りは、補助員を休ませています

2番が、1本の煙草をゆっくりと吸い終わって

ポケットの飴玉を口に入れて立とうとした時

休んでいた舵取り補助員が、左舷遥かに鳥を

発見、舵取りに告げると舵取りは2番に船頭に

伝える様に指示、聞いた船頭は鳥群れを見に

行くと転針を指示、日暮れが迫る中

全速で30分、1マイル程に近づくと鳥が盛ん

に海に突っ込んでいるのが見えます

移動が速い、梶木に追われた小魚の群れを鳥が

狙っている、そうも思えます

寄せると梶木が全身を海面に出して跳ねました

背鰭を出して泳ぐ梶木に比べ突くのが難しい

海面下に赤黒い色を見せましたが位置が悪く

投げられない

行き足を止めて魚を前にやりチャンスを待ち

ます

運良く次の魚が3本左舷側からついでえ下に

海面下1mを泳いで来ます、船頭の「やっどう」

のかけ声で2番と同時に投げ込み仕留めました

控えのわけえしはやなを半分はいて篭に止め

2本が絡まない様に投げ込みました

夕日を背に微速で海面下を見詰めます

見張り員が声を上げました、夕日の輝く遠くの

海面に背鰭が5つ、フワナーから黒煙が上がり

全速で追尾すると10以上の大群です

戦闘開始、5本獲りました、3本は浮樽を

付けて放ちましたが、2本は本船に収容

放ってある5本の回収を急ぎます

4本は直ぐに発見回収しましたが後1本見つ

かりません、全速で付近を旋回捜索、お日様は

沈もうとしています、旗棹を発見しましたが

浮樽が付いていません、日暮れ後になって

やっともっざおを発見回収つながるやなの先

にはしっかり梶木がいました

本日の戦果締めて22本、炊事係は最後の1本

の捜索からは外れて夕飯の仕度にかかって

いました、船頭はともに来るとひしゃくで1杯

の水で顔を洗いもう1杯汲んで両の眼を洗い

ました、黙って飯を食うと

「わっだらくたびれたのう、お世話さん、

皆んなひと寝しろ、機関長も良おう見たら

ひと寝しろ、おがひとんで機械の音気いつえて

舵持っていぐから、おがワッチかおあるとい

おおしてやっからそんまで寝てろ」

「舵取り、後のワッチはだんだ、釜石へ

いぐべえ」と言って皆を寝かせて一人で舵棒

を持って、コースSWで3時間走らせたら

5秒に1回光る黒崎灯台の光が見えて来ました、

次のワッチを起こし、コースをSSWに指示し、

機関長を起こして自分も寝床に入りました

これは突きん棒船の中漁の1日の様子です

かっては海面近くだけで漁民が食べていくに

充分な稼ぎと食料を求める人々が食するに

十分な魚がいる豊かな海がありましたが、

昭和50年頃、やなに電線をだかせ突いたと同時

に電流を流して即死させ容易に取り込める漁法

が発明されました

昭和40年代に千葉県水産試験場が開発した

「大目網」漁法が全国的にはびこり真かじき

資源は壊滅的に減少して突きん棒漁は立ち行か

なくなり廃業に追い込まれました

次回は活餌縄漁についてお知らせします