房州千倉のある船頭の思い出
先週からの日本の排他的経済水域内で始まった
新たなさんま漁場でのさんま漁獲状況を見て、
昭和中後期の千倉の鯖さんま漁業の全盛期を
支えた一人の船頭を思い出した
その人は、生家の持船の最後の船頭を務めた
人でした、以前話題にした、昭和48年に
9000万円の建造費で竣工した当時の新鋭
船を駆使して一秋(8月~12月さんま漁1漁
期)で20000万円を稼ぎ出した船頭です
さんま漁での船頭は過酷です、夕方に
スタンバイ(操業準備)して調査を開始すると
船の最も高い指揮所に陣取り、舵取り(操舵員)
、魚探(魚群探知機)ソナー監視員、2~3台の
のライト(3km位見通せる探照灯)操作員
を指揮して魚群発見に努めます
担当員は輪番で交代しますし、その他の
乗組員は暖を取っての待機になっていますが
船頭には交代はありません
夜が明け操業を終わり満船となれば帰途航海
になりワッチ(当番)運航に移ります
通常の船頭は、ここで15時間に及んだ過酷
な環境から解放されますが、話題の船頭の
言葉は「俺が持って行くから起こすまで寝て
いろ」(船頭が自分で舵を取って行くから1番
ワッチは起こすまで寝て待て)と言って、
自ら操舵して帰途航路の潮流、水温、魚探、
ソナーを監視し、魚群、鳥群を観察して次の
操業の準備をしたそうです
水温が高くなりさんまのいない水域に入ると
ワッチに引き継ぎ「水揚げが終わるまで
起こすな」と言って初めて寝入ったそうです
水揚げが終わり出港準備が整って起こされる
と帰途航海で見て来た可能性の有るポイント
を示し、「そこまでワッチで行け、途中
起こすなよ」と言って飯を食って又寝入った
そうです
満船で入港すれば岸壁で自慢したい船頭の
多い中、その時は寝て居て、漁撈で疲れた
若衆(若い衆~わけえしゅ~乗組員)を寝かせ
大事にして、疲れた自らを鞭打って帰途航海
を担当し、合わせて次操業の調査をしていた
魚を獲る事にのみ専念した一人の船頭の姿が
まぶたに浮かびました